昨年1月に開催された「いいやま雪ざんまい」のリーダーを務めた向井直文さんに、長野県飯山市でのプロジェクトのこと、自身の原点について聞きました。
飯山市と大阪市は姉妹都市です。
飯山市に隣接する山ノ内町は温泉の猿、野沢温泉村はスキーが海外旅行客に人気です。飯山市から、外からの視点で飯山を再発見するような冬のイベントを一緒に考えてほしいと相談がありました。
飯山市
作詞家の高野辰之は故郷・飯山の豊かな自然風土を「ふるさと」や「朧月夜」という歌にしました。「寺の町、仏の里」とも言われ、上杉謙信の最前線となる城下には多くの寺がありました。小菅神社は奥信濃三山と称せられた修験道の霊山です。飯山は長野県の最北に位置し、冬にはかまくらが並びます。
向井 直文 むかい なおふみ
大正区まちづくりセンター支援員
平成28年入社、大正区まちづくりセンター支援員及び都市コミュニティ研究室(Cラボ)研究員。平成31年より現職。
Q 昨年の「いいやま雪ざんまい」について教えて下さい。
開催目前となった3ヵ月前に当時の金井室長(Cラボ)から指名を受けて、プロジェクト・リーダーになりました。
それまでCラボのメンバーでアイデア出しを重ねていたので、それらを洗い出して精査することから始めました。そして大急ぎでプレゼン資料を作り、飯山市の足立市長を訪ねました。
僕たちは、「仏の町」を演出するために来場者全員が螺髪(らほつ、仏像の丸まった髪の毛)のニットキャップを被ることを提案したり、隈研吾さんが設計した飯山市文化交流館「なちゅら」のゲレンデのような屋根を使ってスキーすることを真面目に話しました。
その後、現地メンバーとビデオ会議を重ね、「いいやま雪ざんまい」と題し、「映え三昧・食べ三昧・作り三昧」という企画に落とし込んでいきました。
映え三昧では、日本一ありがたい螺髪かまくらを参加型で作り、スマホ用のカメラスタンドを設置。また参加者は雪ん子や忍者に扮しました。忍者には手裏剣やかんじき修行が待ち受けています。
食べ三昧の中のリンゴ三昧では、生搾りリンゴをその場でどうぞ!
バナナボート三昧では飯山の和菓子店ならどこでも作っているご当地名物「バナナボート」を10店舗集めました。
作り三味では、かんじき、ペットボトル燈篭、ミニかまくら作りにトライ!
坊主バーの開店やミニ仏壇の販売も行う企画満載のイベントとなりました。
地元ラジオや新聞に取り上げてもらったこともあり、準備期間が短い中、来場者は2日間で2千人に上りました。
飯山プラスラボ
この企画は飯山プラスラボの主催です。飯山市と若者会議、そして僕たち大阪市のCラボで構成されます。お互いの資源、文化、知識をミックスして、地域に新たな風を吹かせることが目的です。
飯山駅周辺は飯山城を中心に発展した城下町です。現在も20余りのお寺があり、寺社を巡る遊歩道が整備されています。
仏教離れが進む現代、若い世代にこそ歴史ある飯山の文化に触れてほしいと思いました。
飯山プラスラボでは、全国のかまくら祭り5選にも選ばれる飯山の「かまくら文化」と「仏の文化」を若手のセンスとアイデアで再解釈し、若者や女性が楽しめるイベントを企画しました。
イベント名は、「かまくらの文化」を一心不乱に楽しむ様を「三昧」に例え、「いいやま雪ざんまい」としました。
【三昧】精神を集中し、雑念を捨て去ること。一心不乱にその事をすること。とかくそれをしたがること。
~ How to make 螺髪かまくら ~
①仏様の頭頂部からスタート!螺髪のサイズには調理用ボールがぴったり。
飯山の雪質は水分多めだから、螺髪がしっかりかまくらにくっつきます。 (左端は向井さん)
②子どもたちも、頑張ってます!
③完成!(後ろにあるのは飯山市文化交流館「なちゅら」です。カッコいい建築!)
Q 向井さんのバックグラウンドやまちづくりに関わったきっかけを教えて下さい。
人には佐賀出身と言っていますが、ボストンで生まれました。父が遺伝子研究をしていて、3才までアメリカにいました。ほとんど記憶はないですが、家族でピクニックへ行った光景を覚えています。4つ上の兄貴はリンゴを頬張っていました。その時の写真も残っているんですよ。映っている兄は僕の記憶通りでした。
帰国して父の故郷の佐賀に住み、僕が中2の時に大阪へ引っ越して来ました。音楽が好きで、音響の専門学校へ通いました。レコーディングから音源販売まで、全てセルフプロデュースできたら面白いなと思ったんです。
そして、編集技術を身に付けるため印刷会社でDTPオペレーターとして働きました。CDのジャケットやチラシも自分で作れるようになるためです。
並行して、音楽活動も続けていました。インストゥルメンタルのバンドでベースを担当し、アルバムを2枚出しました。
DJと一緒にホームパーティーをする友人がいて、それが彼の地元滋賀県での野外フェスに発展していき、友人と僕とでオーガナイズするようになりました。友人は主に出演交渉を行い、僕は運営を担いました。
10年やっていく中で、音楽好きな仲間という“身内”が1年に1度イベントに集い“身内”で楽しんで去っていくこと、地域には何も残っていないことが気になり始めました。
そんな頃、「コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる」という山崎亮さんの本を読みました。僕は彼が代表を務めるstudio-Lで働くことにしました。
また前後して、大阪の農家を紹介する「食べる通信fromおおさか」のカメラ撮影とイベント企画を担当することになりました。
当時、僕は大正区に住んでいました。TAISHO DOCKというコワーキングスペースができ、そこのカフェでよく仕事をするようになりました。
ある日、相席になったのが、大正区まちづくりセンターのスタッフでした。
話が盛り上がり、「うちにおいでよ」と誘われました。たまたま当時の大正区長がやって来られ、その場で紹介されました。金井室長(Cラボ)との面接も決まり、トントン拍子に話が進みました。
今は大正まちセンの傍ら、コンサル会社にも籍を置いています。
移住・定住などの地域活性に関わることから、ワークショップ・デザイン、商品開発に至るまで、幅広く取り組んでいます。
趣味は飲み歩きです。日本酒の味と香りが好きなんです。ある年は、良く行く飲み屋さんで「お正月は田舎ですか」と常連さんたちに聞き、帰省する人には地酒を買って来てもらいました。年明けは日本酒大会となりました。
いつか自給自足、半農半Xのような暮らしをしたいと思っています。
昔からコミューンやスモール・ヴィレッジに憧れているんです。
取材・文:梶原千歳
イラスト:阿竹奈々子
Comments