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【働く哲学】琵琶湖の源流で600年続く政所茶


古来より「祈り」「暮らし」「食」と密接に関わってきた滋賀の「水の文化」が、平成27年、日本遺産に認定されました。その水の文化の一つとして平成29年に追加認定を受けたのが、「永源寺と奥永源寺の山村景観」です。

東近江市の奥永源寺地域では、近江三大茶の一つである政所茶(まんどころちゃ)が栽培されています。在来種の茶樹は室町時代から守り継がれ、今なお農薬や化学肥料を使わない伝統的な茶づくりが続いています。

そこには、「源流に住む私たちが水を汚しては、川下の方々に申し訳ない」という心があります。政所町も全国の山村と同様に過疎高齢化に直面していますが、この土地の文化と人に魅かれて移住し、茶づくりを担う若手の女性がいます。

「政所茶縁の会」代表の山形蓮さんを訪ね、学生たちと一緒に紅茶づくりを体験しながら、自然とともに生きる暮らしを考えました。

紅茶づくり体験

~政所茶に学ぶSDGsの心~

山形さん

今日は政所の二番茶で紅茶をつくりましょう。半日しかありませんが、自分で手づくりした紅茶を持って帰ってほしいので、しっかり頑張って下さいね。

茶摘みは、「夏も近づく八十八夜~♪」という唄にもある通り、立春から数えて88日に当たる5月に始まります。

一番茶(新茶)を採ってから約40日経つと、二番茶が採れます。この辺りは以前は二番茶まで茶摘みをしていましたが、担い手の高齢化が進み、近年は一番茶のみとなっています。

そこで私は二番茶を摘んで、紅茶をつくり始めました。

①一芯二葉を摘む

摘むのは、一芯二葉(いっしんによう)、茶樹の先端の芽と葉です。

②力いっぱい揉む

茶葉を布に包んで、洗濯板を使って、パンをこねるように力いっぱい揉みます。

紅茶も緑茶も同じ種類の葉ですが、葉に傷をつけることで発酵が起きて紅茶になります。

③日光で発酵させる

よく揉んだ茶葉を黒いビニール袋に入れて、1時間ほど日光に当てます。

発酵には25~30℃が適温です。揉み具合で香りや形も微妙に異なる紅茶になります。

④温めながら乾かす

発酵の次は乾燥です。茶葉をほぐしながら素焼きの陶板に広げて、弱火で温めて水分を蒸発させます。乾燥むらがないように、混ぜて揉んでを繰り返します。

だんだんと香りが変わり、酵素が役割を終えて発酵が止まっていきます。

⑤ふるいにかける

茶葉をふるいにかけて、乾燥した茶葉から取り出します。

山形さん

茶葉の大きさも色も香りも違う三者三様の紅茶ができましたね。

お茶はつくる人の性格が出るんですよ。

足し湯をして3回くらいは十分飲めるので、ご自宅でお茶の時間を楽しんで下さいね。

ちなみに、玉露、煎茶、緑茶、番茶、紅茶、どれも同じ茶樹からつくられるんです。

玉露は育てる時に茶樹に藁を被せて、日光を当てないようにします。すると、少ない光で光合成を進めようとするから葉緑素が増えて、緑が濃くて香りと甘みに優れたお茶になります。

焙じ茶は、どんな茶葉でも焙じれば焙じ茶です。ローストするという意味ですから。古いお茶は、焙じると香りが立って美味しく飲めます。身近なお茶なのに意外と知らないことは多いですよね。

政所茶との出会い

政所茶縁の会 代表 山形蓮さん

私は京都市で生まれ、2才から滋賀県大津市で育ちました。

滋賀県立大学で地域文化を専攻して、地域の方から色々な文化を学ぶことにとても魅力を感じました。大学院に在学中は東日本大震災の被災地でボランティア活動をして、そこでは共助の力を目の当たりにしました。

地域のつながりが強いところで暮らしてみたいと感じるようになった頃、大学時代の恩師から政所の地域研究についての実習を手伝ってほしいと声がかかり、この土地や人とのご縁が生まれました。

やがて日本の原風景のような山と川、昔ながらの暮らしに惹かれるようになりました。

奥永源寺地域は東近江市の中でも一番、過疎高齢化が進んでいて、集落の平均年齢は74才です。80才に近い方が、「先祖から受け継いだ茶畑を自分の代で絶やす訳にはいかない」と体を酷使して懸命に頑張っておられるのを見て、素人ながら何とか力になりたいと思いました。

フィールドワークのメンバーである学生たちと一緒に「政所茶レン茶゛ー」(まんどころチャレンジャー)という任意団体を結成し、畑を借りて週末にお茶づくりに通い、地元の方と交流を深めていきました。

でも、所詮はよそ者という感覚が拭えず、お茶づくりも通うだけでは時間が足りませんでした。

そんな時に、奥永源寺地域に「地域おこし協力隊」が募集されることを知り、移住を決め、応募しました。

平成26年から3年間、1期生の隊員として政所茶の存続に取り組みました。

その間、同世代の仲間と立ち上げたのが「政所茶縁の会」です。

コアメンバーは6名で、私以外はみんな政所の外に暮らし仕事も様々ですが、政所茶が好きという気持ちは一緒で、茶摘みやお茶会など政所茶のファンをつくるPR活動や茶畑の管理をしています。

「政所茶縁の会」はその名の通り、政所茶や守ってこられた方の想いを未来につなぎ、ヒト・モノ・コトの縁を結ぶ会です。

今では、茶摘み体験やボランティアなどで政所茶にかかわって下さる方が増えてきました。滋賀県立大学の学生の活動は8年目になります。

地元の農業高校である八日市南高校は2年がかりで手間のかかる玉露を復活させてくれました。

平成29年には「政所茶生産振興会」を発足しました。

これが私にとっては一番大きかったことで、これまで生産者組織がなく生産者一人ひとりが販売や人手不足などの問題を抱えていたのですが、現在では約70軒全体で課題を共有して支え合っています。

まだまだ先が明るいとは言えませんが、政所茶を次の世代へも存続させるために、今が最後の踏ん張りどころと思って、産地全体で一生懸命取り組んでいます。

先日は、東京・中目黒のスターバックスで「日本茶のサステナビリティ」をテーマにしたトークセッションが開かれ、私もスピーカーの一人として参加しました。本社の社員の方が政所へ視察に来られ、ご案内もしました。

オーガニックやビオの意識が高い欧米の生産者の方もやって来られるんですが、近々、私たちもアメリカのミシガン州へ行き、現地のカフェを巡って政所茶をPRする予定です。

地道な活動ですが少量でもmandocorochaの名前を外へ向かって広げていきたいと思っています。

全国で2%

在来種・無農薬・無化学肥料の政所茶

山形さん

川の朝霧に昼夜の寒暖差、水はけのよい土質と急斜面、美味しいお茶ができる要素がこの谷には詰まっています。

川から上る朝霧は茶葉を霜から守ります。

この土地育ちの茶樹は枝に粘りがあり、1m以上の積雪にも耐えるんです。

茶畑と言えば、長く整然とした畝を思い浮かべると思いますが、それは挿し木をして葉の形状を均一化した品種茶と呼ばれるものです。

政所茶は全国でも2%しか残っていない在来種が多く現存しています。

この土地に種を播いて芽吹いて育った茶樹が、毎年新芽を出して葉が落ちて。

それを600年も繰り返してきたんです。

現在の茶畑の茶樹は100年ほどの樹齢があり、1本1本に個性があり味も微妙に異なり、どの木にも愛おしさを感じます。

なかには樹齢300年の現役の茶樹も。

畑に敷いているのはススキです。

肥料には山で集めたススキや落ち葉、菜種油の搾りかすなどを使っています。

一般的に、お茶には農薬や化学肥料が多く使われています。

年配の方ほど出汁が効いたような旨みの強いお茶を好まれますが、これは肥料に含まれる窒素成分によるところが大きいんです。

旨味の強く見た目に美しいお茶を作るために品種改良や化学肥料の施肥を行うため、茶樹が病気や害虫被害にあいやすく農薬をたくさん使うことになってしまいます。

日本の残留農薬基準は世界と比べて緩く危険だと言われています。

政所では農薬や化学肥料を使っていません。

政所茶はすっきりとして香りがよく、無骨な味わいですが苦みの中に甘みもあり、余韻が楽しめるお茶です。

幕府や朝廷にも献上された銘茶で江戸中期には高級煎茶として全国に名を馳せました。

おまけ

木地師(きじし)をご存知ですか。奥永源寺は日本全国の木地師のルーツです。

平安初期の859年、文徳(もんとく)天皇の第一皇子だった惟喬(これたか)親王は皇位継承に敗れて、奥永源寺地域の小椋谷に都落ちしました。

惟喬親王は、良質な材木に恵まれたこの地で村人にろくろ技術を伝え、椀や盆をつくる木地師が生まれました。

お茶は、805年に最澄が唐の国からチャの種子を持ち帰り、比叡山の麓に播いたことが発祥とも言われています。

鎌倉時代に永源寺が開山し、5世の越渓秀格禅師(えっけいしゅうかくぜんじ)が霜や雪がひどくアワやキビなどの雑穀しかつくれなかったこの土地に茶の栽培を奨励しました。

木地師が良材を求めて各地へ移り住んでいった時、木工技術とともに茶の文化も伝播したのではないかと想像しています。

取材・文:梶原千歳

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