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【ひと休みコラム】大阪港まち歩き

梶原

ぺんぎんの歩き方を体験

 

港区まちづくりセンターの「浜ちゃん」に、海遊館やクルーズ客船の寄港で知られる大阪港(大阪市港区築港)を案内してもらいました。子どもの頃から大阪港へ通い港区歴は20年程になりました。

今日はよろしくお願いします。港区のこと、いっぱい教えてください。

浜ちゃん

まずは、これ食べて。静月の水まんじゅう。

みとぅー

格別ですね。

浜ちゃん

「みなトクモン」の夕凪しぐれもおススメ。

じゃ次は、港商店街へ行こ。仲酒店と大澤酒店では、朝から立飲みができんねん。

ご住職

昔、この辺りは船員で溢れかえっとったんじゃよ。

明治元年に大阪港が開港して、千船橋という橋があるけれども、貿易船が何隻も数珠つながりに入港待ちしとった。商船会社や船食会社、市電や赤レンガ倉庫、料亭にキャバレーもできて、貿易港として栄えたんじゃ。築港温泉には、1日千人近い船員が来ておった。


みとぅー

こちらのお方は?

浜ちゃん

築港高野山釈迦院のご住職様です。東の四天王寺、西の築港高野山と言われ、かつては7,800坪の境内に188の観音霊場があったんよ。

大阪大空襲で焼失したんやけど、その後少し場所を移して、ここ築港に再建されてん。


ご住職

戦前は、毎月21日の弘法大師の縁日には、四天王寺から築港高野山まで市電が乗り換えなしで結ばれ、たいへんな賑わいじゃった。参詣客が供えるお賽銭米は、1年で5石にもなっておった。

(編集注:大人1人が1年に食べるお米は1石と言われていました)

みとぅー

うわー!バブルも謎やけど、戦前も謎。

浜ちゃん

ありがたいお話をありがとうございました。

ご住職

ようお参りでした。

みとぅー

浜ちゃんは、なんで「まちセン」へ?

浜ちゃん

母が歴史系のNPOの理事や所長してて、その事務所が築港のpia NPOに入っとってん。

高床式倉庫とか復元された古代船「なみはや」の展示イベントに小学生の頃から付いて行ってて、そのうちに私も歴史好きになって、大学生の頃には母が企画した大阪港のまち歩きとか、NPOの会計も手伝うようになってん。

大学は社会福祉系に進んで、ベビーシッターや生涯学習センターの受付のバイト、保育や小中学生の引きこもりのボランティア活動もしてたで。

ある時、金子さんが企画した「国際交流フェスタ」が海遊館のイベント広場で開かれて、多国籍料理のブースが並んで、インドネシアのサテを担当してた母やおばちゃんたちが、外国のお客さんにWhat’s this?と聞かれて、「ヤキトリ、ヤ・キ・ト・リ」と繰り返してたんが面白かったわあ。

でも「そんなんで、ええん!?」とも思って。

居心地はよかったけど、「知り合いがおらん外の世界で就職しよう」と決心してん。

それで、イベントとかで馴染みのあったコミ協に履歴書を送ってんけど、結局すぐに「これ、浜ちゃん?」とバレてしもた。小さい頃からコミ協の職員さんにもイベントでよく会ってたから。

みとぅー

狭い世界~。浜ちゃんは平成21年入社ですよね。

仕事での転機とか、面白かった事業とか、ありますか?

浜ちゃん

金子さんと一緒にやったイベントはぜんぶ転機やったかな。

「みんなと子育てしチャオ会」もそうやし、「こどもパラダイス」では、海遊館からペンギンの着ぐるみ(足だけ)を借りて、ペンギンが歩く歩幅を体験できるコーナーを作ったんよ。

自然史博物館からは動物の骨を借りて「ほねほね展」を企画して、骨博士の講演会も開いたり。

交通科学博物館からはミニSLを借りて、港区民センターのホールやロビーでNゲージを走らせたら、普段よりもパパの参加が増えて。

港消防署の見学ツアーでは、子どももパパも夢中で、楽しい光景にいつもワクワクしたわあ。

みとぅー

じゃ今、一番ワクワクするイベントは?

浜ちゃん

自分で企画してるランチタイム・コンサートかな。

区民センターの吹き抜けのロビーはレンガ造りで、音がよく響くんよお。アンサンブルやアルハープなど、アマチュアの方々に出演していただいています。

みとぅー

今日はありがとうございました。

浜ちゃん:

ようお参りでした。あっ。(おわり)

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

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