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  • 梶原

【港区コミュニティを科学する①】1 金子明憲


ドラム・バスケットのイラスト

地域コミュニティづくりを専門とするCラボは、大阪市24区のうち10区のまちづくりセンターを運営しています。

そのなかの一つである港区は、総務省のモデルコミュニティとしてレポートで紹介されたり、自治体学会で住民が発表を行うなど、地域自治の成功モデルとして全国から注目が集まっています。

【港区コミュニティを科学する】では、まちづくりセンター、区役所、地域のキーパーソンにお話を伺い、大阪市港区の「地域自治」の全容に迫ります。

「金子さん」という人

まずは、地域運営のひとづくりに携わった港区まちづくりセンター初代アドバイザーの話からです。

港区では「気づけば金子さんがいる」と言われるほど、地域に入り込んで運営支援を行ってきました。「まちづくりはひとづくり」、本題に入る前に金子自身の人となりもご紹介したいと思います。

金子 明憲 かねこ・あきのり

一般財団法人大阪市コミュニティ協会 研究室(Cラボ)

昭和29年大阪に生まれる。

趣味:バスケットボール、スポーツ、腹話術

昭和51年中学校体育科教師。昭和53年大阪市コミュニティ協会に就職。

都島区民センター、港区民センター、都島区民センター館長、港区まちづくりセンターアドバイザー、浪速区まちづくりセンターアドバイザーを経て、現職。

 

金子明憲のライフ・ヒストリー ひとづくり

昭和51年~ 中学校体育科教師

 

落葉の物語

小学5年生の時にビートルズが来日して、グループサウンズに目覚めて、中学生の時は正月返上でバイトに励んで、天王寺でパールのドラムセットを買いました。

バンドを組んで、メンバーにカバ似がいたからバンド名はヒポポタマスにして、部活がないテスト休みは集会所を借りて、雨戸を閉めて、バンド練習をしていました。

ザ・タイガースが好きで、授業中もお気に入りの曲のリズムを指で刻んで練習していたら、机が2ヶ所凹みました。高校生の時は学生運動の時代だったけど、僕はノンポリ※でした。

※ nonpolitical(ノンポリティカル)の略で、政治運動に関心が無いこと。

これは金子少年(中学生)の一日。

3:00      起きる

3:30~5:30  新聞配達

朝ごはん

7:00~20:00  野球→授業→野球

晩ごはん

21:00~22:00 ゴルフの球拾い

22:00     銭湯。友だちが来てるからだいたい長風呂になってしまう

24:00     寝る

金子少年(中学生)の一日

バスケットボール

中学では野球部、高校ではバスケ部でした。

大学は音大に進むか体育の先生になるか迷った挙句、体育大へ行きました。中学校に着任して、バスケ部のコーチを任されました。大阪市コミュニティ協会(以下、コミ協)へ転職してからも、高校の女子バスケ部のコーチをボランティアで引き受けていました。

生徒がバスケ部に入って来る動機は様々です。リーダーになりたい、格好よくプレイしたい、友だちをつくりたい、なんとなく。

でも試合はみんなで勝たなアカン。

バスケが上手いのは体で表現できているから、上手くないのは頭で理解していてもまだ体で表現できていないから。「10年練習すれば誰でも上手くなる、高校の3年間で上手くなろうとしているんだから、わかっている人がわかっていない人に教え続けなさい」と僕は生徒に常々言いました。

試合の時もそうです。ベンチメンバーが「シュートの時にいつもより肘が下がってるよ」とスタメンにアドバイスする。特に同級生にこそ、言い合える関係であってほしい。できないのに言うな、じゃない。体で表現ができているかどうかの違いだけなんです。

耳タコ

僕が言うことはいつも同じです。だから部員は3年間ずっと同じことを言われ続けます。

新1年生には、分からないことは先輩に聞くように言いました。たまに僕が集合の合図をかけると、汗だくの部員50人が我先にと僕の所へ走ってきます。ちゃんとコーチの話を聞かないと、先輩は後輩を指導できない。プレイの上手下手にかかわらず、みんなにやる気が芽生えていました。

大学では、生徒にどう教えたらいいかを教わりました。何度も丁寧に説明する、できなくても急かさない、繰り返す。花を咲かせたかったら、途中でちぎったら意味がない。毎日世話をして、水やりしたり肥料やったり。人を育てることも同じやと思います。待つことです。

敵は我にあり

新チームを組むときは、生徒一人ひとりに本気の覚悟があるかを確かめてから、コーチを引き受ける契約を生徒と結びました。僕は、“全員がやる気を持っている”チームを目指しました。

ユニフォームを着られる15人には、体力を温存せずに全力で戦えと言い、メンバーチェンジをしながら、全員がコートに出られるようにしました。ベンチは試合を必死で見て、選手たちにどんどんアドバイスをします。

賞をもらう時は、キャプテンではなく、マネージャーに受け取ってもらいました。試合に出ている選手だけでなく、マネージャーや控え選手も含め“全員一丸となるチーム”が、いいチームの秘訣です。

そういった僕のバスケ哲学を紙にして、部員に配りました。生徒たちは、選手ノートというのをつけていて、僕は月曜の仕事休みにコメントを書きました。選手は努力している姿をコーチにいつも見られていると知ることで、安心して練習に励みます。

お茶目も大事

やっぱり試合は勝たなアカン。

勝つための戦略は、いつも考えていました。試合の時は、審判は高校教師が担うので、外部コーチのチームは不利なファールを取られることもあります。だから、5対5ではなくて、5対7(審判2人も含めて)で戦っていると思わなければなりません。

審判の判断に納得がいかなくても、笛を吹かれたらすぐに手を挙げるように言いました。嫌な顔をしてはダメ、むしろ手を挙げた後に「できればニコッと笑いなさい」と。

審判も人ですから、難しいジャッジでファールを取ってしまった時には、悪いことをしたと思い、次は相手チームのファールを公正に取ってくれます。

ちょっとのお茶目も大事。(つづく)

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

 

第4号 【港区コミュニティを科学する①】1 金子明憲

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