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  • 梶原

【ザ・チーム】新たな自治の仕組みにチャレンジする


困りごとをキャッチ

途上国、山村集落、被災地、繁華街と様々な土地でコミュニティ支援に携わり、現在は大規模団地の浜甲子園でエリアマネジメントを担う奥河洋介さんに、これまでの活動と自身が目指す「自治」について聞きました。

奥河 洋介

奥河 洋介 おくがわ ようすけ

HITOTOWA INC. ディレクター、一般社団法人まちのね浜甲子園 事務局長

平成26~28年淀川区まちづくりセンターアドバイザー、平成29年より現職。

 

Q 奥河さんが「コミュニティ支援」に携わるようになったきっかけは何ですか?

セネガルです。青年海外協力隊の村落開発の分野でセネガルの田舎町クサナールに2年間派遣されました。帰国後は、兵庫県が行う小規模集落サポーター派遣事業で養父市に1年間赴任し、コミュニティの拠点を古民家につくり私もそこで寝泊まりました。

その後、東日本大震災後の被災地へ、私は復興まちづくり推進員のコーディネーターとして宮城県の南三陸町に入り、仮設住宅に住む町民の移住先に関する意向調査や高台に家を建て直す人たちのコミュニティづくりに携わりました。行政と町民の話し合いの間に立ち、防潮堤や高台移転計画など合意形成に奔走した2年間でした。

Q その後、大阪市淀川区まちづくりセンターのアドバイザーを3年間務められました。

 淀川区の自治活動では、どんなことに力を入れましたか?

“マイナスをゼロにする作業”ではなく、“ゼロをプラスに転換する支援”に注力しました。地活は市税で運営されているので煩雑な会計は免れません。地活からは会計サポートを期待されましたが、まちセンがいくらそこに労力を掛けてもプラスは生み出せません。もちろん会計の相談には乗りましたが、あくまでも会計処理は地活が当事者として行うべきと割り切りました。

片や地域にプラスをもたらすために、地活と企業・NPO・専門学校との連携に力を入れて取り組みました。地域活動は地活発足以前から存在します。古くから頑張っている人を変えることは難しい。地域に新しい価値を生み出すには新しい人が必要です。

一方、地元企業の方では企業の社会的責任や地域貢献など、地元と連携したいところは多くあります。また、専門学校は学生の経験の場として、NPOは自分たちのミッションとして、地域との連携を望んでいるのです。ですが彼らの方では、どう地域にアクセスすればいいのか分かりません。逆もしかりです。まちセンは橋渡し役を担いました。

橋渡しとなるには、まず地域の課題を把握しなければなりません。住民から信頼を得て「こんなことに困ってんねん」と相談してもらえること。まちセンを開設して最初の半年は「チームメンバーがちゃんと地域に向き合えること」を目指しました。

幸い支援員3名は地活発足時の東成まちセンを1年経験しており、区民とのコミュニケーションには定評がありました。私たちはできるだけ地域の行事や会議に出席して人間関係を築いていきました。地域と日々付き合っていくなかで、困っている一言がポロっと聞こえてきます。支援員がそれぞれの担当地域でその一言を拾い、まちセンで消化して、地域へ解決策を提案する。

「消化」するために、一つの案件に2~3時間かけてメンバー全員で議論し、課題にどうアプローチするかホワイトボードにアイデアを書き出しながら企画を練りました。この方法は私たちの定番スタイルとなりました。

Q 企業・NPO・専門学校にはどのようにアプローチしましたか?

「よどまち未来セッション」と題して、区内で活動する方々が地域や立場を超えて“淀川区の未来”を語り合いその実現を目指す場を持ちました。セッションは毎月開催し、淀川区に所在する企業・NPO・専門学校の一覧から各回のテーマに合いそうなところをピックアップしてチラシを郵送し、参加を募りました。

淀川区はJR新大阪や阪急十三などターミナル駅があり企業やNPOが多いのですが、なかには所在地として登記されているだけのペーパーカンパニーもあります。案内を100通送っても申込みがあるのは1~2件ほどでしたが、その一人や二人と1対1の関係を築き、その後のセッションにも個別に誘って来てもらいました。

盆踊りなどの行事に企業の方が手伝いに来られていたら、地域の役員さんに企業の方を紹介してもらって名刺交換し、「地域連携をされている企業さんのお話を聞きたいんです」と後日電話して訪ねたり、個人的な関係作りをしていきました。

専門学校については、淀川区に20校ほどあるのですが、だいたいの場合、学校のある地域の町会長と先生とは面識があります。地活の会長に「あの学校いいですね。何か連携できるかもしれないので紹介して下さい」と先生の連絡先を教えてもらいました。電話して「もう地域連携やってるよ」と言われれば「取材させて下さい」とお願いして、学校の関係者と知り合っていきました。

Q 企業・NPO・専門学校とはどんな連携事業をしましたか?

小学校の社会見学では地元企業を訪問するようになりました。

ある時、会議後の飲み会で地活の会長が「遠くの大企業まで工場見学に行ってるけど、地元にもええ企業あるのになあ。鍵屋さんとか」とポロっと仰るので、よく聞いてみると淀川区には国内シェア約3割を占める鍵の専門メーカーがあること、小学校は見学先にマンネリしているらしいことが分かりました。

地活が小学校とメーカーをつなぎ、要所要所でミーティングを重ねて実施に結びつけました。地活が全ての事業主体にならなくてもいいと思うんです。つなぎ役でいい。地活には人や情報が集まってくるので、それを上手く“つなぐ”ことが新しい地域活動を実現する秘訣だと思います。

もちろん、まちセンが調整役となり、とにかく個人としての人間関係を大切にして、新しい事業を起こす時には特に丁寧にフォローすることが重要です。

専門学校とはたくさんの連携が生まれました。

大阪保健福祉専門学校は地元の秋祭りへの参加を機に、今では学生に地域連携担当という役職ができました。秋祭りは学校の一大行事に位置づけられ、200名を超える学生がボランティアとして参加し、ブースの出店から自転車整備まで協力しています。

当初地域は、祭りに学生が来てくれるとは思ってもいないようでした。若手と言えば、PTAか新しい住民世帯か、でした。外からの目線で発想を変えることもまちセンの役割だと思います。

飛鳥未来高等学校は、先生の方から区役所に地域連携したいと問合せがありました。学校と地域をつなぎ、プログラム作りから当日の司会進行、報告会の開催までトータルにまちセンが行いました。そこまでサポートしてこそ初回の連携を成功させることができます。

大阪ウエディング&ブライダル専門学校のケースでは、先生と地活の会長の顔合わせ時に、両者の希望を率直に話し合ってもらいました。学校側は生徒に有意義な体験をさせたい、地域は若手が足りないので行事の重労働の部分を担ってほしい。

まちセンは両者が連携することでお互いに楽しさをちゃんと味わえるところを探しながら、意見の交通整理をしました。結果、地域の盆踊りにヘアアレンジのブースを設営することになりました。浴衣でやって来る子どもが増え、学生たちにとっては日頃の練習の成果を実践できる場となりました。両者が満足し来場者も増加、3年目には直接連絡を取り合うようになり、今でも継続して連携されています。

私は、1対1の人間関係を重視して、外部の方とつながっていきました。

プライベートの時間で知り合った方と飲みに行っていました。少しずつ築いた信頼関係が地域活動の新しい展開を助けてくれました。一緒に事業を行った方々とは淀川区を離れた今もよく会っています。(つづく)

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

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