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  • 梶原

【港区コミュニティを科学する①】3 しチャオ!


満たされたバケツのイラスト

空のバケツ

平成19年~ 港区民センター

「みんなと子育てしチャオ会」

およそ30年の都島区での勤務の後、港区民センターへ異動になりました。

何か子どものことをしたいと思っていました。

区役所福祉課、社会福祉協議会、子育てプラザ、民生児童委員、民間などは、それぞれに子どもの虐待などの問題に取り組んでいました。

みんなで考える場が必要だと思いました。

各機関に声をかけ、集まってもらい、「私は○○をやっている○○と申します」と自己紹介から始めました。集められた方々は最初は状況がよく分からないという感じでしたが、自己紹介し合ううちに、「へー、そんなことやってはんの」と驚き、打ち解け、仕事の悩みも聞き合うようになりました。

子どもに関わる機関の共通の問題が虐待対応だと分かり、虐待防止の会をつくろうと話が進みました。厳しいテーマなだけに、関わる人のしんどさが見てとれました。

名前だけでも明るくしましょうと、「みんなと子育てしチャオ会」と名付けました。

その取組みの一つとして、月に1回、区民センターのフローリング部屋を朝から晩まで開放し、絵本やおもちゃを用意して、子育て中のお母さんたちに来てもらいました。

子育ての悩みなど、生の声を会に上げるためです。

そのうちに、今度はお母さんたちが「みんなと子育てしチャオ会サークル」を立ち上げ、新聞プールや消しゴムはんこなど、毎月、楽しい遊びが企画されました。

子育てに関して感じていることを話し合ううちに、地域の子育てマップ作りも始まりました。

「このレストランは赤ちゃん連れも歓迎してくれるご夫婦が営んでますよ、ここの公園は将棋のおっちゃんがコワかったです」とママたちが子育て中に役立つ情報を満載しました。

デザインは育休中だったプロのデザイナーが買って出られました。

子育てマップ(大阪市港区築港)

「区民まつり」

毎年8月の第1土曜日18時から22時まで、八幡屋公園の多目的広場で区民まつりが開催されていました。青少年指導員と青少年福祉委員が、グラウンド整備から当日の司会進行まで一手に担います。

港区では、三社祭りという神社の大きな夏祭りが7月20日に始まり、その後に港住吉神社のお祭り、8月には各地域で盆踊りが開かれます。神社の祭りも盆踊りも、地域総出で行います。

そのため、その間に開かれる区民まつりの存在感は薄く、参加する人も限られたものでした。

かと言って、新規に参画しようとすれば、スペースがなくテントも追加できないような状態でした。

僕は、何か特徴のある祭りにしたいと思いました。

そこで、公園に併設されたスポーツセンターを活用することにしました。

更生保護女性会など、参加したいという多くの地域団体が集まりました。時間は、子どもも来やすい13時から16時までにし、その後18時から始まる屋外での祭りに人が流れるようにしました。

館内では、港区にある社会人相撲の力士を招いた相撲大会や、歌や踊りの力士のカルテット・ショー、アーティストの巨大さをり織を天井からぶら下げるなど、見て楽しい祭りを企画しました。

いきなり新しいことを始めると既存の方々から反感がありますし、遺恨も残ります。

少しずつ、変えて、足して。

港区のキャラクター「みなりん」は、区の花であるヒマワリをテーマに公募し、それを区民まつりで区民が投票して決めました。

イラストはできたものの、着ぐるみ作りが進まないようで、ある日、区長から相談を受け、「うちで、やりまひょかあ」と答えました。

着ぐるみを作るのは始めてでしたが、色々とデザインを考え、業者に見積もりを取り、2~3カ月で作り、区民まつりで「みなりん」お披露目となりました。

その後、平成25年には、区役所とともに、大きく区民まつりを変えることになります。

みなりん

「区民音楽祭」

市民音楽祭というのが毎年2月に開かれていました。

とても人気になり、出演は抽選に変わりました。港区に10ほどあったコーラス部は、4月にメンバーを勧誘し、2月の市民音楽祭に向けて練習していました。抽選になると発表のチャンスがなくなってしまうかもしれない。

「何とか入れてくれへん?」と地域の方に頼まれました。「それは、無理ですわ」。

そこで、港区の方々と区民音楽祭を開催することにしました。

企画から、当日の会場設営・司会・照明・音響・撤去作業まで、すべての参加団体で行います。撤収後、すぐに振り返りをするので、準備から反省会まで一日で終わります。

区民音楽祭の企画が始まった時から、コミ協が主催するのではなく、区民主催にしなければと思っていました。コミ協や行政が主催すると、出演者はお客さんになってしまいますし、こちらの都合で中止にせざるを得なくなるかもしれない。息の長い地域活動には、住民主体が欠かせません。

出番が終わると「ほな、喫茶店、行こかあ」と途中で帰ってしまうので、そこは「最後まで聞きましょ」と。区民音楽祭は今年で12回目を迎えます。

「こどもパラダイス」

港区民センターでは毎年「遊び創造館」という子ども向けのイベントを主催していましたが、子どもが来ず、イベントに取材に訪れたケーブルテレビのベイコムは、僅かにいた2~3人の子どもたちを撮り続けるしかない状態でした。

今年はどうするか。子どもが来ないのでもうやめよう、という声がありました。

僕はこれまでの経験から、「地縁型ではなく、テーマ型のイベントならできる」と思いました。

地域団体は多くの事業を抱えているので、地元に負担をかける訳にはいきません。

子ども関連のNPOや団体、一般に声をかけ、もう1年だけやらせて下さいと区役所にお願いしました。

集まった50ほどのグループが話し合って企画をつくり、新しく「こどもパラダイス」とみんなで名付けました。死ぬかと思うくらい思いっ切りやりました。

同僚からは、「港区では、こんなんで、人けーへんでえ。子どもも、忙しいから、けーへんねん」と言われました。

前日は大雪でしたが、当日は晴天。

オープン前には100m先の消防署まで行列ができていました。

館内は道頓堀の戎橋のような賑わいになり、同僚は「こんなたくさんの人が参加するイベント、見たことない」と涙しました。

都島では多くの行事をやっていましたが、港は空のバケツのようなもので、水を注げば注ぐほど、みんなが喜んでくれました。

赴任当初に「こどもパラダイス」を任せてもらえたこと、あのきっかけは大きかったと思います。

こどもパラダイスの当日には、市長が来られていて、これは一体どうやってやったのかと、関わっている団体の多様さに驚かれました。後日、話を聞きたいと他の職員とともに市役所に呼ばれました。市長が構想されていた地域活動の新しいイメージが、ちょうど子どもパラダイスに合致したのだと思います。

区民センターにはじめて設営したプラネタリウム

区民センターで演奏会と講演会を開いた時には、参加費を無料ではなく500円にしました。

当時は何か催し物となると、町会や地域の団体にお願いをして来てもらい、その代わりにボールペンや植木の苗など、お土産を渡していました。

「参加費」に抵抗があったようですが、払っても来たい人が来る。

これが、お(合)うてるんですと説明しました。

都島へ凱旋

凱旋都島

平成24年4月~ 都島区民センター 館長

「みやこじまママまつり&パパパラダイス」

都島区民センターに館長として戻った矢先、とある区民の方から、ママと子どものイベントをやりたいと相談がありました。

「じゃあ、やりましょうかあ」と即答しました。

着任したのが4月、9月に区民まつりが決まっていたので、同時開催でやれると軽い感じで思いました。5月には子ども関連の団体を口説きに回りました。

周囲には無謀と言われましたが、いける、いける。自信がありました。

当初は子どもとママをターゲットにしていましたが、パパも入れてほしいと、ファミリー企画になりました。ママの会議は午前10~11時半。事前にLINEなどで議論しておくので、会議は段取り良く終わります。パパの会議は夜7~9時、その後には飲み会が必ずありました。

僕は、この新規イベントと区民まつりの両方の事務局長を担いました。

ポスターは2つで1枚にしました。別々につくると、「みやこじまママまつり&パパパラダイス」の方は捨てられそうだったので。

同時にしかも隣で開催したら区民まつりに人が来なくなると随分怒られましたが、結果は大成功。

区民まつりもファミリー層の新しい担い手を発掘するチャンスとなりました。

何でも「しチャオ!」の精神です。(つづく)

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

 

第6号 【港区コミュニティを科学する①】3 しチャオ!

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