• 梶原

【Cラボ 新!室長インタビュー】大舩一美


令和元年8月、大舩一美がCラボ室長に就任しました。

大舩さんがこれまで手掛けてきたこと、いま考えていること、これからのCラボのカタチなど、

インタビューしました。新室長をご紹介します。

大舩 一美 おおふね かずみ

一般財団法人大阪市コミュニティ協会

 都市コミュニティ研究室(Cラボ)室長

 東成区・西成区・此花区まちづくりセンター スーパーバイザー

一般社団法人スペシャルキッズサポート振興協会 代表理事

一般社団法人大阪総合医学・教育研究会(こども心身医療クリニック併設)理事

一般社団法人日本イタリア文化協会 顧問

社会福祉法人西谷会(神戸市・高齢者介護施設)評議員

Q これまではどんなお仕事をされていたのですか?

産経新聞社で60歳の定年まで勤めました。

最初は営業部門へ配属になって、新聞配達をしながら学校に通う専門学校生や大学生の“お兄さん”のような立場で進路相談等に乗りました。

次の企画労政部では、税務署や労働基準監督署に対応しながら、新聞販売所の経営や労働環境改善に取り組みました。その後、総合企画室へ配属となり産経新聞ファンクラブの運営や、社内の各部局間やフジテレビグループとの調整を行い新しい事業を企画していました。

振り返ってみると、コーディネーターのような職務や支援の仕事が長かったと思います。

その後、観光事業を行う関連会社の役員を経て、定年の1年前に社会福祉法人産経新聞厚生文化事業団へ出向となり、専務理事を任されました。

NHKや朝日新聞社なども厚生文化事業団というのを持っていて、全国から募金を集めて公益性のある事業に活用するのです。

産経新聞の厚生文化事業団は、9つの障害者のための施設と23のグループホームを運営していました。僕は募金集めとその分配、施設運営そのものに携わり、障害者アートにも力を入れました。

新聞社時代とは違う「福祉の世界」へ入って行ったのです。

専務理事という役職には10ほどの公職も付いてきました。大阪府や大阪市の社会福祉協議会の評議員、大阪府共同募金会や大阪府福祉基金の配分委員、済生会病院の理事などです。後に気付くのですが、この時に出会った方々はCラボとも接点が多く、会議等で久々に再会して思わず抱き合ってしまったこともあります。

僕とCラボの出会いは、産経新聞厚生文化事業団に勤めていたある日、金井先生(Cラボ前室長、現顧問)と小児科医の先生がこどものホスピスを造りたいと助成金のご相談に来られたことが始まりです。お二人の熱意とビジョンに感銘を受けて、後にそのホスピスの館長を1年ほど務めることになりました。

その後67歳でリタイアして“日々の飯炊き”をしていたんですが、妻も子どもと本をつなぐボランティアをするライフワークがあるから出掛けてばかり。何か刺激がほしいなと思っていた頃、金井先生(当時Cラボ室長)から突然「来月からうちに来てもらえませんか。大舩さんしか代わりは頭に浮かばないんです」と電話がありました。

その3日後の平成29年2月2日、西成区まちづくりセンターのアドバイザーに就任しました。

その後、淀川区のスーパーバイザーや中央区商店会連合会の事務局担当を経て、今は東成・西成・此花の3区を担当しています。

Q Cラボに来られて3年目、振り返ってみていかかですか?今後の展開は?

地域の方々も役所もコミュニティづくりに一生懸命です。

その方々の想いや願い、困っていることを聞いて、長く生きてきた分多くある経験と人脈を使って、ちょっぴり味付けできたらもっと面白くできるんじゃないかと思っています。

仕事をしていれば難しいことにも出会います。お互いに立場を持っているから、そこは尊重し合って、折り合える線を見つけていかなければなりません。いつでも「人となり」はしっかり見られていますから、立場上の駆け引きのなかにも、人としての思いやりを忘れないことです。物事を進めるには“調整”が大事ですが、それは小さな気遣いの積み重ねだと思っています。

僕は人の困っている話を聞くのが楽しいんです。

女神の微笑みは課題を持っている人にしかやってきません。どう解決しようかと模索している時、ふと“微笑み”に出会うことができ、新しいものが生まれます。企業の新製品もそうです。

ひとつの事例を挙げてみます。ある少年がガラス片を持ってバットのグリップを細くしていましたが、時折、少年はガラス片を石に当てて割り、再びグリップを削っていました。この光景を道すがら見ていた社長に女神が微笑んだのです。

これがきっかけで、刃先がポキポキ折れるカッターナイフを開発。会社名も「折る刃」を元に「オルファ」と命名し、全く新しいアイデアをもたらしました。発明、発見、起業には、こんな話がいくつも残っているのです。

Cラボには個性的なメンバーが集まっています。メンバーや一人ひとりが持つネットワークを掛け合わせて課題にチャレンジすれば、面白い化学変化が起こるだろうと期待でいっぱいです。

Cラボは大阪市と姉妹都市である長野県飯山市の町おこしに関わっていますが、海外の姉妹都市であるイタリアのミラノとも個人的にどうコラボしていけるか考えているところです。

イタリアで通訳会社を経営していた友人が帰国し、人生後半はイタリアと日本の文化交流やレッジョ・エミリア市の教育の普及に尽力したいと相談があり、一般社団法人日本イタリア文化協会の設立に協力しました。

実は平成29年6月にスペシャルキッズ(難病や障害を抱える子ども)を支援するための一般社団法人スペシャルキッズサポート振興協会を発足させていたので、友人の想いやレッジョ・エミリア市のイタリア教育文化の交流にも共感するところが多くありました。

レッジョ・エミリア教育は、個性に注目してアートで一人ひとりアプローチする幼児教育です。市や自治体とも協力してプロのアーティストを招聘するなどワークショップも行っています。

僕は、産経新聞での最後の仕事として厚生文化事業団で福祉の世界に入ったのを機会に、ライフワークとして子どもたちへのサポートを続けながら、Cラボでは地域コミュニティづくりに取り組んでいます。

令和3年、大阪市とミラノ市は姉妹・友好都市提携を結んで40周年を迎えます。Cラボ、レッジョ・エミリア、スペシャルキッズ…、地域目線、子ども目線、福祉目線…、何を掛け合わせてどのような切り口で周年記念イベントを展開していこうかワクワクしています。

Q リタイアしてゆっくりしようとは思われないのですか?

うーん、全く思いませんねえ。新しいこと、面白いことが好きなんです。

子どもたちとの遊びもとことん本気でした。僕は大阪生まれの大阪育ちなんですが、長女4歳・長男2歳の時に、女房の実家がある近江八幡へ引っ越しました。

彼女は5人姉妹なんですがみんな遠くへ嫁いでいて、僕は早くに両親を亡くしていたので、僕たちが近くに住んで両親をみることにしました。親の都合で子どもたちを友だちから引き離すことになったので、我が子に新しい友だちを作ってやるのは親の役目だと思い、近所の子どもたちと一緒によく遊びました。自宅の一部を解放して“子ども図書館”もしていましたので、近所の子どもたちが本を読みながら寝てしまっているような光景も日常でした。

子どもたちとの交流は、多い時には60人ほど。

月に一度は集まって色んな遊びをするようになりました。

化石掘りの名人と山へ行ったり、学校の体育館を借りて紙ヒコーキ世界一の先生と一緒に記録に挑戦したり、人間スゴロクをやってみたり、子どもの日は布団屋さんから布をもらって10mの“鯉のぼり”を作って、みんなでカレーを食べたり、竹藪から竹を切り出して川に笹を浸けて蛍を捕まえたりしました。

時には地元新聞社が取材に来たり。同じメニューを繰り返すことはほとんどありませんでしたし、そのうち、子どもたち自身が次の企画を考えるようになりました。

いつしか、この会は「どろんこクラブ」と名付けられ、正月の大カルタ大会では、画用紙大のカルタを作って、年長の子が読み上げ、体育館内で汗だくになって遊びました。

マラソン大会を開いた時には、仕事帰りにメダルのチョコレートとリボンを買って、夜なべして首から下げるメダルを作りました。子どもたちの年齢は様々でしたが、マラソンも2歳の子は20m、3歳の子は30mなど、工夫してやればみんなで競争できるんです。

フランスでお菓子作りを学んだお母ちゃんと子どもたちがケーキを作ったら、子どもたちはそのお母ちゃんをすごく尊敬するようになりました。お父ちゃんたちの会社に職場見学にも行きました。お父ちゃんは家ではゴロゴロしているけれど、本当はカッコいいんだと見直されました。

一人っ子もここへ来たら兄妹ゲンカを経験して、泥んこになるまで遊んで、自分で見て感じて、不思議に思ったことは大人に聞いたり、本で調べたり。僕たちの遊びは“子育ち”の場になりました。

友だちの家に「おばちゃん、お水飲ませてー」と行ける。「こども110番の家」の旗を掲げなくても、何かあった時に躊躇せず駆け込める関係がたくさんありました。

家庭と学校の間に「おばちゃん、おっちゃん」と呼べて安心できる地域があること、これがコミュニティなんだなと思いました。長男が中学3年になるまでの13年間、僕たちは真剣に遊びました。

この時の体験が、今の活動にもつながる僕の「子ども目線」を作ってくれたんだと思います。

Q 大舩さんのご家族はそれぞれにユニークな活動をされていますよね?

女房は子どもと絵本の掛け橋でありたいとボランティアを続けています。小澤征爾さんのお兄さんの小沢俊夫先生と昔話の絵本を出版したり、国立科学博物館の恐竜の研究者にラブレターを書いて講演会を企画したり頑張っています。

長女は日本語教授法の専門家になり、日本や海外で教科書を作ったり外国人に日本語を教えたりしています。長男は美大へ進み中学校で美術を教えていましたが、日本画のアーティストとなり、巨大な作品を東近江市のアトリエで制作しています。春先にはロンドンで個展をするようなので、女房と遊びに行こうかと思います。

家族はみんな忙しくて頻繁に連絡を取り合ったりはしませんが、子どもが海外に滞在している時に訪ねて知らない街を案内してもらったり、たまに集まった時には積もる話を聞いたり。子どものお陰で2回目の青春をしているような気分です。

今年で夫婦ともに70歳になりますが、孫も連れたアジア旅行を計画してくれているみたいです。

これからもずっと新しいこと、面白いことをやり続けたいと思います。

車の初心者マークを製造する東大阪市のニチレイマグネット株式会社の社長が「僕はメガネをよくどこへ置いたのか忘れるんです」と言うので、「似顔絵を作って、鼻に磁石を付けて、そこにメガネを置くと絶対忘れないかと思います」と伝えたら、翌週に試作品を持って来てくれました。

困り事を聞いたらアイデアを考えずにはいられない性分なんです。

取材・文:梶原千歳 

イラスト:阿竹奈々子

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